メメント・モリ

望まないことばかり叶ってしまう人生

友人が事故で亡くなった。

先日、大学時代のLINEグループから連絡があった。
友人が事故に遭ったかもしれない、と。

まさか、そんなことがあるはずがない、と思った。
嘘だと思った。
事故に遭った人は同姓同名の別人なのでは?と現実逃避をした。

でも、時間が経つにつれて事故のことが複数ニュースになっていって、新しいニュースを調べれば調べるほどその情報が友人と合致していって、その事故に遭った人の容態が良くないことも記載してあって、どうしたらいいかわからなくなった。

そしてその後、友人の家族からも連絡があって、友人は事故で亡くなったと知らされた。
認めたくはなかったけれど、友人の死を認めるしかなかった。友人の死を受け入れるしかなかった。


悲しいとか、寂しいとか、そういう気持ちもあるのだろうけど、あまりにも突然すぎて何も感情が湧いてこない。
頭の中がごちゃごちゃのような気もするし、逆に空っぽのような感じもするし、自分でもよくわからない。気持ちの整理がつかない。

友人が病気だったら、まだ死の覚悟ができたのかもしれない。
でも、まさか事故で亡くなるとは思っていなかったし、こんな早くに亡くなることになるなんて予想もしていなかったことだった。
そういう気持ちもあって、友人の死に対して、まだどこか現実味を帯びていないのかもしれない。


その友人は大学に入ってから最初にできた友人のひとりで、大学のゼミも一緒で、よく一緒に授業を受けたりご飯を食べたりした。
授業終わりに遊びに出かけるのはしょっちゅうだったし、みんなでしょうもない話もたくさんした。
友人の実家に泊まらせてもらって合宿をしたり、私の家で鍋パーティーをしたり。

大学時代のことを思い返しても、その友人との思い出は切っても切り離せないほど色濃いものだった。


友人はいつかカフェを開きたいと言っていた。
みんなが笑顔になるお店を作りたいと。
今もその夢に向かって、経験を積んでいた最中だったのだろうか。


私は大学卒業後にメンタルがやられて人との接触を避けていたこともあり、何度か会う約束を断ってしまっていた。
だから、最近の友人のことはSNSでしか知らない。

最近の友人の姿をこの目で見ていなかったこと、友人の近況を本人の口から聞けなかったこと、どうして会うチャンスがあった日に会っておかなかったのか、後悔してもしきれない。
できることなら、こんな形で別れたくなかった。


お別れ会に出たら、友人の死の実感がわくのだろうか。悲しくて涙が止まらなくなるのだろうか。わからない。私には、わからない。



まだ気持ちの整理はつきそうにないけど、今日は友人のことを思って晩酌しようと思う。
友人が好きだった、あの頃の音楽とともに。

もうアラサーなのにバブバブ甘やかされたくて仕方ない

年々バブみが増している。

今年26歳になったのに、精神年齢は6歳くらいの気持ちでいる。
幼児退行なのか、はたまた老いていく自分を見てみぬフリをしたいのか。

なぜ、この歳にして、急にバブみが増してきてしまったのか。


とにかくバブバブ甘やかされたい。

なでなでよしよしされたい。

えらいえらいって褒められたい。

美味しいごはんと温かい寝床を与えられて、ただただ愛情を注がれたい。


バブバブ。バブバブ。


最近はバブみばかり芽生えてしまうせいで、頻繁に実家に帰るようになってしまった。

遠距離なのに。
片道3時間以上かかるのに。
往復1万5,000円くらいするのに。


ただバブバブするためだけに、頻繁に実家に帰ってしまう。

男よりも実家の方が手っ取り早い。
実家は私を長年育ててきただけあって、私を甘やかすのに長けている。
何をすれば私が喜ぶかを熟知している。

普段は引きこもりのくせに、ここまでの労力とお金をかけてでも甘やかされたいと思ってしまうから、バブみは恐ろしい。


この一連の流れを見て、「こいつ正気か?」と思う人もいるだろう。

でも、私はとにかくバブバブ甘やかされたい。
なりふり構わずバブバブしたい。

昔は大人ぶったタイプだったのに、今はすっかり毒が抜けてしまったのだろうか。
もうアラサーなのに、バブバブ甘やかされなきゃ生きていけない体になってしまった。


時には大人ぶってもいい。
終電帰りで、会社と家の往復の毎日でも構わない。

大人なのだから。
それくらいなんてことない。

でも、定期的にバブバブ甘やかされなきゃ生きていけない。
バブバブ言ってべたべた甘やかされて、日頃の疲れを労ってほしい。
ただただ、惜しみない愛情を与えてほしい。


だから私は今日も、バブバブ甘えるために一人暮らしの家を後にするのだ。

バブバブ。バブバブ。

今日もいっぱい甘やかしてね。