メメント・モリ

望まないことばかり叶ってしまう人生

学生時代「内定ゼロ」、ごく普通の真面目な大学生だった私が就活にことごとく失敗した話

今回は少し真面目な話を書いていきたいと思います。
私が散々嫌な思いをさせられた「就職活動」について書いていきます。

私は学生時代、内定を1つも貰うことができませんでした。

決して遊び呆けていたわけではありません。
積極的に会社説明会に行ったり、100社以上の採用試験を受けていた至って真面目な学生でした。

でも内定はゼロだったのです。


私が就活を失敗した理由


まず、私が就活を失敗した理由について何個か分析してみました。
人によって個人差はありますが、一つの例として参考にしていただければと思います。


内定ゼロの原因1:就職氷河期だったから

厚生労働省は2015年11月20日、2015年度(平成27年度、2015年4月1日から2016年3月31日)における大学や短期大学、高等専門学校、専修学校の新卒者就職状況に関する最新調査結果を公開した。その発表資料によれば2015年10月1日(9月末)時点の大学卒業予定者の就職内定率(就職希望者に対する就職内定者の割合)は66.5%となり、昨年同時期と比べ1.9%ポイントの悪化が見られたことが明らかになった(【発表リリース(平成27年度「大学等卒業予定者の就職内定状況調査」)】)。 引用元:http://www.garbagenews.net/archives/2161417.html

このように、今の学生の内定率はとても高いとは言えません。
大学生の自殺原因の約15%が就活失敗と言われているくらい、深刻な社会問題になっています。

中にはあっさりと就職先が決まる人もいますが、大抵の人は内定を貰うまで本当に苦労しています。
敢えて就職浪人・就職留年・大学院進学を選択する人は、私の周りでも非常に多く見られました。

私の場合は内定ゼロだったのは時代のせいではないとは思いますが、それでも就職氷河期は私の世代のような2014卒を大いに苦しませました。


内定ゼロの原因2:事務職以外の職種を受けなかった


私は当時安易な考えから、「事務職=楽、簡単」というイメージを持っていました。

私はとにかく楽がしたかった。
甘えかもしれないけど、過労で体を壊したくなかった。

就職の役に立たない文系、その中でも教職以外全く役に立たない学科出身のくせに営業職・販売職には就きたくなかった。
しかも有名大でもないごく普通の大学生なのに、このように理想だけは人一倍高かったのです。
本当は事務職も女社会で、安月給&激務というところが多いのにね。

そんなこともあり、大手・中小問わずひたすら事務職を募集している会社を受けまくっていました。

事務職はやっぱり人気職種だけあって、倍率がびっくりするくらい高い。
聞いたことのない零細企業でも、事務職募集をしているというだけで1、2人募集に対して何百人も応募に殺到します。

特に、卒業が近くなればなるほど魅力的に見える事務職はどんどん倍率が上がっていきます。
そんな中、何の取り柄もない私が立ち向かっていくのは本当に大変でした。

卒業までに6、7社ほど最終面接までは行ったけど、全部落とされました。
その理由は後述しますね。


内定ゼロの原因3:本気でその会社に入ろうと思っていなかったから


私が就活に失敗した原因の99%近くの原因がこれ。
最終面接まで行っても落とされ続けたのは確実にこのせいです。

この暇な女子大生さんのインタビューにもあったけど、

http://www.asahi.com/articles/ASH7J6GVQH7JUEHF00V.htmlwww.asahi.com


私も彼女同様、その会社に本気で入りたいと思っていなかったから内定が貰えませんでした。

口では「御社に入社して、〇〇の事業に取り組んでいきたいです!」と言っていても、本心は「取り敢えず生活していくためにはどこでもいいから内定がほしい」ということ。

「茶番だ」「アホらしいな」と思う気持ちはあっても、その会社に入りたいなら会社に従順な学生を演じなければいけません。
でも、私にはそれができませんでした。


卒業間際も、もちろん就活をしていた


あの頃は本当に自暴自棄になっていたせいか、思い出すだけで涙が出てくるくらいつらい。
就活を全然やっていなかったり、不真面目な子があっさりと内定を貰っているのを間近で見るのがつらかった。

みんなは髪を明るく染めてヘラヘラ笑いながら卒論を書いている中、私は黒髪にしてリクルートスーツを着ながら卒論を作成。
本当に惨めでした。

そして、もちろん卒論の合間を縫って企業面接に行く。
が、やっぱり落とされる。

こんな生活を毎日続けていました。

もう卒業が迫っているのに、ここまで長いこと就活をしていた一種のプライドからか、「事務職&正社員」以外の募集は絶対に受けませんでした。

負け犬なりのちっぽけな意地でした。
でも、それは自分の首を自ら絞めているようなもので、余計に就活条件を厳しくしているだけなんですけどね。

でもあの頃は、「事務職&正社員」以外の道は考えられませんでした。

結局そんなこともあり、大学を卒業しても内定はゼロのままでした。


就活失敗、大学卒業後の既卒の就活について


卒業後も就活をしていましたが、日本は「新卒一強」社会

既卒の就職活動は、新卒時代の比じゃないくらい厳しいです。
非正規雇用が圧倒的多数を占め、限られた正社員枠は職種問わず応募が殺到します。

こんな環境に長くいたら、約2年近く続けた就活に嫌気が差すのは当たり前。
そのうち、新卒社会人として立派に働いている同級生たちを憎むようになりました。


多分心がボロボロだったんだろうね、去年の夏ごろからは就活を一切辞めました。

焦る気持ちはもちろんありました、というか毎日焦っていました。
でも、毎回会社に落とされ続けていたら、ただでさえネガディブな性格が更にネガディブになっていきます。

「どうせ次受ける会社も既卒だから受からない。受けるだけ時間の無駄」

そういう気持ちが強くなっていき、もう就活を続けられなくなりました。
一度気持ちがぽっきりと折れてしまったらなかなか立ち直れない、ということをこの時初めて実感しました。

その後、暫くはニートで引きこもりという最悪な生活を送っていました。

世の中にも見放され、社会不適合者。
しかも、このタイミングで恋愛の揉め事が多々発生。

毎日死にたいと思いながらも死ぬ勇気はなく、抜け殻のような生活をしていました。

ちなみに、ネトゲにハマったのも丁度この頃から。
現実が残酷すぎて、のめり込むようにハマりました。

ネトゲの世界は、傷ついてボロボロだった私には優しすぎました。


そして、現在・・・


結局、学生時代は就活にことごとく失敗した私ですが、今は縁あって正社員としてWEB会社のOLをやっています。

ニート期間に充分に心身ともに休めたおかげで、再出発後は一発で仕事が決まりました。
「今まで休んだ分、今度こそこの会社で頑張って働きたい」と本気で思えたからこそ、仕事が決まったのだと思います。

事務職希望だったのに、今はWeb会社でライターの仕事をしています。
毎日がとても充実しています。

今思えば、あんなに事務職にこだわっていたのがアホらしく感じます。

それに、学生時代どうして内定ゼロだったのか、それも就職してからようやく気付くことができました。

"この会社にどうしても入りたい、ここで働きたい"

という、シンプルなことに本気で取り組んでいればよかったのです。

他の就活生は、その会社に入りたいと思って頑張ったから内定を貰えた。
でも、当時の私はとにかく内定が欲しくて、上辺だけの気持ちで採用試験を受けていたから内定を貰えなかった。

このことにもっと早く気付けてたら苦労せずに済んだのになとも思いますが、焦ってたり追い詰められていたらなかなか気付けませんよね。


そんな私から、就活で悩んでいる人に言えることはただ一つ、

「もうダメだ…」と思ったら一回全てを忘れて休もう。
そのうち、時間が経てば必ず立ち直れる日が来る!

ということ。

心身共に追いつめられてダメな時は、必死に取り組んでも何事も上手くいきません。

実際に私がそうでした。
頑張れば頑張るだけ空回りする毎日でした。

焦る気持ちはありますが、もうどうしようもできない時は一度立ち止まってみましょう。
一度休んでみたら、「自分はどうしたいのか」「何をすべきか」ということをゆっくりと考える時間ができますよ。

もし本当に就職が無理だと思ったら、それこそブログやアフィリで稼ぐ道だってあるし、案外人生何とでもなるもんだよ。


以上、過去の思い出話でした!

過去に「逃げ」の選択をしたことを後悔し、別の未来に思いを馳せるのはいけないことなのだろうか。

私は2014年7月14日に、私の人生を大きく左右する出来事を経験した。
そして、私は現実から目を背け、「逃げ」の選択をしてしまった。

でも、もしかしたら、この選択は正しくなかったのかもしれない。


私は人生選択を誤ったのかもしれない


実は私は、何もやる気が起きず、一日中ネトゲばかりして生活していたことがある。
というのも、上記に書いた通り、2014年7月14日に私にとって非常にショックな出来事があり、それが原因で精神を病んでしまい、精神的に不安定な状態が続いていたからだ。
ボロボロだった私をなんとか日常生活へと引き戻してくれたのは、身近な人たちではなく、実際に会ったことがないネトゲの人たちだった。

ネトゲ廃人時代は、私の24年間の人生の中でも一番荒れていた時期であり、それが原因で就活をするのがかなり遅れてしまった。
そして、その出来事は今でもふとしたときに思い出すことが多く、ある程度時間が経った今でも私を苦しめ続けている。

この出来事については、この記事を一通り読んだ後に何となく感じてもらえると思うので、敢えて詳しくは書かないが、
私は今更ながら「あのとき別の選択をしたらどんな人生になっていたんだろう?」と、考えることが増えてきた。

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少し余談になるが、私はどちらかというと見栄張りで、あまり人に弱いところは見せられない性格である。
強がりで虚勢を張って、ひとりで悩みを抱え込むようなタイプだと思う。

そんな私が唯一弱いところを見せられるのがネトゲで知り合った人たちで、その人たちには現実の悩みや不安をぶちまけることができた。
何も着飾らずに、素の自分を出すことができた。

だから、この人生を左右する大きな決断に迫られたときも、私は身の振り方をどうするべきか彼らに相談した。
そして、私が抱えている不安な胸中を思うがままに吐き出した。

彼らはうんうん、と感情的な私の話を聞いてくれて、それだけで心が救われた。
身近な人には誰にも言えないような私の悩みを、実際には一度も会ったことがない彼らだけが親身になって聞いてくれた。
私は、そんな彼らの存在がありがたかった。

彼らのおかげでボロボロになっていた私の心も安定し、なんとか日常に戻れる精神状態に戻れたんだと思う。


でも、私はあのとき、彼らのアドバイスを聞かずに、彼らの提案とは別の選択をしてしまった。
今冷静に考えると、彼らはまっとうなことを言っていた。
絶対に彼らのアドバイス通りの選択をした方が、その先の未来のことを考えたら絶対に幸せだったはずだ。

なのに、私は目の前の現実から目を背け、別の選択をしてしまった。

たとえるなら、今日好きなだけゲームをしたら二度とゲームができないけど、今日ゲームを我慢したら明日から好きなだけゲームをしてもいい、という二択を迫られ、私は今日ゲームをすることを望んだ。という感じ。
私はその先のことを考える心の余裕がなく、「逃げ」の選択をしてしまった。

でも、ネットの彼らはそんな私の選択を責めず、むしろ応援してくれた。
内心は「バカだなー」と思っていたかもしれないが、そのときはその気遣いにすごく救われた。

そして私は今、こうしてつまらないことばかりをグダグダと考えたり、もう変えることができない過去のことを思い出して一人もやもやとした気持ちを抱えている。
こんなしょうもないことに悩まされ続ける未来が想像できなかった私は、本当にどうしようもないバカだ。


この気持ちはどうしたらいいんだろうか、よくわからない。
人生を左右する大事な選択を冷静に考えずに決めてしまい、後戻りができなくなった今、この気持ちは封印した方がいいんだろうか。
それとも、新たな選択をした方がいいんだろうか。

今更考えても、どうしようもできないのに、過去の自分の選択が本当に正しかったのかどうか思い悩んでいる。
あのとき現実から逃げずに向き合った方がよかったのではないかと、ひたすら自問自答している。
今は今で幸せだけど、心の片隅にいつ爆発してもおかしくない爆弾を抱えて過ごしているようなものだ。

半年や1年でこんな有様なのに、5年・10年経ったらどうなるんだろう。想像したくない。
こんな爆弾を抱えたまま過ごして、そんな状態で、私は心の底から幸せだと言えるのだろうか。

仕事は楽しいし、やりがいもある。学ぶことが多く、毎日が非常に刺激的だ。
それに、休みの日は友達と遊ぶことも増えてきたし、ネトゲやブログでの交流はとても楽しい。とてもとても楽しい。

プライベートでは結婚もしたし、その生活自体はかなり充実していると思う。

それに、あのとき今の選択をしたからこそ得た、かけがえのない経験や幸せもたくさんあった。
別の選択をしていたら、絶対に経験できなかったことだっていっぱいあった。
この選択をしてよかった、と心の底から思ったことも数え切れないほどあった。

そういうことを思い返しつつも、やはり心のどこかで、あのとき「逃げ」の選択をした自分を責めている。


それなりに生活が充実している状態で、もっともっと、と貪欲に欲を出すのはいけないことなんだろうか。
完璧な幸せを求めるのはダメなのだろうか。

考えてもキリがないのに、ふとした時に考えてしまう。
その度に、後悔したり、納得したり、ときには幸せを感じて喜んだり。

一度きりの人生だからこそ、迷ってしまうのかもしれない。
あの選択は本当に正しかったのだろうかと思い悩んで、迷って迷って迷って。

でも、過去に戻れないから、どうしようもできずに、こうしてその迷いを文章に書きつづっている。


そして、私はこれからも迷い続けるのだろう。
過去に「逃げ」の選択をしたことを後悔し、来るはずのない別の未来へと思いを馳せながら。