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メメント・モリ

望まないことばかり叶ってしまう人生

過去に「逃げ」の選択をしたことを後悔し、別の未来に思いを馳せるのはいけないことなのだろうか。

日常

私は2014年7月14日に、私の人生を大きく左右する出来事を経験した。
そして、私は現実から目を背け、「逃げ」の選択をしてしまった。

でも、もしかしたら、この選択は正しくなかったのかもしれない。


私は人生選択を誤ったのかもしれない


実は私は、何もやる気が起きず、一日中ネトゲばかりして生活していたことがある。
というのも、上記に書いた通り、2014年7月14日に私にとって非常にショックな出来事があり、それが原因で精神を病んでしまい、精神的に不安定な状態が続いていたからだ。
ボロボロだった私をなんとか日常生活へと引き戻してくれたのは、身近な人たちではなく、実際に会ったことがないネトゲの人たちだった。

ネトゲ廃人時代は、私の24年間の人生の中でも一番荒れていた時期であり、それが原因で就活をするのがかなり遅れてしまった。
そして、その出来事は今でもふとしたときに思い出すことが多く、ある程度時間が経った今でも私を苦しめ続けている。

この出来事については、この記事を一通り読んだ後に何となく感じてもらえると思うので、敢えて詳しくは書かないが、
私は今更ながら「あのとき別の選択をしたらどんな人生になっていたんだろう?」と、考えることが増えてきた。

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少し余談になるが、私はどちらかというと見栄張りで、あまり人に弱いところは見せられない性格である。
強がりで虚勢を張って、ひとりで悩みを抱え込むようなタイプだと思う。

そんな私が唯一弱いところを見せられるのがネトゲで知り合った人たちで、その人たちには現実の悩みや不安をぶちまけることができた。
何も着飾らずに、素の自分を出すことができた。

だから、この人生を左右する大きな決断に迫られたときも、私は身の振り方をどうするべきか彼らに相談した。
そして、私が抱えている不安な胸中を思うがままに吐き出した。

彼らはうんうん、と感情的な私の話を聞いてくれて、それだけで心が救われた。
身近な人には誰にも言えないような私の悩みを、実際には一度も会ったことがない彼らだけが親身になって聞いてくれた。
私は、そんな彼らの存在がありがたかった。

彼らのおかげでボロボロになっていた私の心も安定し、なんとか日常に戻れる精神状態に戻れたんだと思う。


でも、私はあのとき、彼らのアドバイスを聞かずに、彼らの提案とは別の選択をしてしまった。
今冷静に考えると、彼らはまっとうなことを言っていた。
絶対に彼らのアドバイス通りの選択をした方が、その先の未来のことを考えたら絶対に幸せだったはずだ。

なのに、私は目の前の現実から目を背け、別の選択をしてしまった。

たとえるなら、今日好きなだけゲームをしたら二度とゲームができないけど、今日ゲームを我慢したら明日から好きなだけゲームをしてもいい、という二択を迫られ、私は今日ゲームをすることを望んだ。という感じ。
私はその先のことを考える心の余裕がなく、「逃げ」の選択をしてしまった。

でも、ネットの彼らはそんな私の選択を責めず、むしろ応援してくれた。
内心は「バカだなー」と思っていたかもしれないが、そのときはその気遣いにすごく救われた。

そして私は今、こうしてつまらないことばかりをグダグダと考えたり、もう変えることができない過去のことを思い出して一人もやもやとした気持ちを抱えている。
こんなしょうもないことに悩まされ続ける未来が想像できなかった私は、本当にどうしようもないバカだ。


この気持ちはどうしたらいいんだろうか、よくわからない。
人生を左右する大事な選択を冷静に考えずに決めてしまい、後戻りができなくなった今、この気持ちは封印した方がいいんだろうか。
それとも、新たな選択をした方がいいんだろうか。

今更考えても、どうしようもできないのに、過去の自分の選択が本当に正しかったのかどうか思い悩んでいる。
あのとき現実から逃げずに向き合った方がよかったのではないかと、ひたすら自問自答している。
今は今で幸せだけど、心の片隅にいつ爆発してもおかしくない爆弾を抱えて過ごしているようなものだ。

半年や1年でこんな有様なのに、5年・10年経ったらどうなるんだろう。想像したくない。
こんな爆弾を抱えたまま過ごして、そんな状態で、私は心の底から幸せだと言えるのだろうか。

仕事は楽しいし、やりがいもある。学ぶことが多く、毎日が非常に刺激的だ。
それに、休みの日は友達と遊ぶことも増えてきたし、ネトゲやブログでの交流はとても楽しい。とてもとても楽しい。

プライベートでは結婚もしたし、その生活自体はかなり充実していると思う。

それに、あのとき今の選択をしたからこそ得た、かけがえのない経験や幸せもたくさんあった。
別の選択をしていたら、絶対に経験できなかったことだっていっぱいあった。
この選択をしてよかった、と心の底から思ったことも数え切れないほどあった。

そういうことを思い返しつつも、やはり心のどこかで、あのとき「逃げ」の選択をした自分を責めている。


それなりに生活が充実している状態で、もっともっと、と貪欲に欲を出すのはいけないことなんだろうか。
完璧な幸せを求めるのはダメなのだろうか。

考えてもキリがないのに、ふとした時に考えてしまう。
その度に、後悔したり、納得したり、ときには幸せを感じて喜んだり。

一度きりの人生だからこそ、迷ってしまうのかもしれない。
あの選択は本当に正しかったのだろうかと思い悩んで、迷って迷って迷って。

でも、過去に戻れないから、どうしようもできずに、こうしてその迷いを文章に書きつづっている。


そして、私はこれからも迷い続けるのだろう。
過去に「逃げ」の選択をしたことを後悔し、来るはずのない別の未来へと思いを馳せながら。


夫からのホワイトデーのプレゼントを期待していたら、逆に私がプレゼントを奪われた話

日常

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あ・・・ありのまま 今 起こった事を話すぜ!

「私は 夫にバレンタインデーをあげたから 夫から3倍返しのお返しをもらえると思ったら
いつのまにか 私が前職の退職祝いでもらったプレゼントを奪われてしまっていた」


な・・・何を言っているのか わからねーと思うが
私も 何をされたのか わからなかった・・・



_人人人人人人人人人_
> ポルナレフ状態 <
 ̄YYYYYYYYY ̄



説明しよう!

タイトルが長ったらしい上に、読んでも意味が分からないという人も多いだろう。
そのことについて、今から詳しく説明しよう!

以下の通り、私は2月14日のバレンタインデーに、確かにクソ夫にチョコをあげた。

cyanmeme.hatenablog.com

手作りのしょぼいチョコとはいえ、チョコをあげた以上はホワイトデーにお返しが貰えると期待するじゃん?

もう先月の話になるけど、3月14日にうちのクソ夫に「なぁ、話があるんやけど」って切り出されたんだ。
3月14日だし、「これはもしかしてホワイトデーのプレゼントをこっそり買ってきてくれたということ?クソ夫にしてはやるじゃん!」なんて、3倍返しのお返しを期待してwktkしてた訳だよ。

そしたら、クソ夫はこう言い出したんだ。

クソ「あのさ、めめが前職の退職祝いに貰ったプレゼントをさ、職場のおばちゃんのホワイトデーのお返しとして使わせてほしいんやけどいい?」


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めめ「いやいやいやいや、このプレゼントは前職の人から私の門出を祝ってもらったプレゼントだよ? 普通に考えて無理でしょ!」

クソ「めめへのホワイトデーを100倍返しにして返すからお願い!職場のおばちゃん隣の席やし、ホワイトデーのお返しを渡さなかったら気まずいやろ。だからそのプレゼントを今日おばちゃんに渡したいねん」



知らんがな。

とまあ、そんなこんなで私の反論も空しく、クソ夫の手によって私が前職の方々から貰ったプレゼントが強制的に奪われていった。

クソ夫は、あたかも自分がおばちゃんへのお返しを購入したかのように振る舞い、おばちゃんから喜んでもらえたらしい。
そして、私は4月7日現在、未だにホワイトデーのお返しを貰っていない。



めめは考えるのをやめた。


私が思う確かなことはクソ夫・・・!
てめーのツラを次みた瞬間私はたぶん…
プッツンするだろうということだけだぜ